阪神大震災の発生当初に自衛隊に対し・・・に関する記事

質問
阪神大震災の発生当初に自衛隊に対して当時の兵庫県知事が災害派遣命令をすぐに出さなかったから犠牲者が二千人余分に増えたと石原都知事が発言し、それに対して現兵庫県知事の井戸敏三氏がなぜ二千人とはっきり言えるんだ等と反論していましたが、二千人云々はさておき、そういった事態が起きた際はすぐに自衛隊を出すべきだと思いませんか?自分は当時の兵庫県知事の思想の為に犠牲になられた方がたくさんおられる気がしてなりません。

回答
震災当日陸自の伊丹駐屯地からは6時過ぎに伊丹警察からの直接救援要請(阪急伊丹駅交番が崩壊して二人が閉じ込められた救出頼む)を皮切りに8時過ぎには近傍災害派遣として西宮市まで部隊を出動させています災害派遣要請が遅れた最大の原因は災害派遣に関する知識不足です当時のルールでは要請なしに出ることは許されませんでしたそのうえ近畿地区は防災訓練に自衛隊が参加することすら拒む自治体が多く日頃の連携も全くできていませんでした朝八時過ぎにーつながった電話でまだ状況不明として災害派遣を要請しなかったのですが10時につながった電話の際陸自から この電話を持って災害派遣要請と受け止めてよいかの問いにただ一言 お願いしますとしか言えなかったんです日ごろ付き合いのないところに行ってもどこに何があるのかわからない誰が担当なのかわからないでは当初の動きに障害があって当然です普賢岳火山災害の時は日頃から島原市と大村陸上自衛隊には緊密な関係がありました予算不足で出来なかった島原城の石垣の草取りを陸自大村部隊がレインジャー訓練として手伝うようになってからお互いに交流があり火山災害が生じた時火砕流直前の5月末関係団体の連絡調整会議が実施されました。その際に非常時の体制に関して関係者から通達がされていたため本番で助かったのです?医療関係 負傷者が出た場合まず全ての負傷者は長崎県立島原温泉病院に運んでほしい 搬入後は医師会が責任を持って後方転送等を行う 市役所に対しては 非常用の緊急処置室を講堂に設けるから 処置室にしくので畳を約200枚用意してほしいと要請 翌日市内の畳屋さんの協力で古畳等200枚病院に緊急輸送? 自衛隊 緊急時には普通科一個中隊をまず派遣します その際は作戦本部及び部隊根拠地としてとして島原城を貸してほしい 即日許可そのうえ連隊長判断で連絡要員として陸自隊員3名が市役所に設置した連絡室で待機していましたそしてあの火砕流 長崎県庁との連絡はできない状況になりましたが大村市とは通話可能でした連隊にはむ連絡員から続々情報が入り部隊の派遣準備を整える中連絡員からの電話に連隊長は 市長に何時でも電話いただければすぐ大村連隊出動しますと伝えるよう指示結果午後6時市長より直接の災害派遣要請その10分後偵察小隊基地を発進道路情報を伝えながら島原市に駆けつけそれから約1600日の活動が始まりました

出典:Yahoo!知恵袋

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